サプライチェーン人権デューデリジェンス:導入ステップと効果的な社内体制の築き方
サプライチェーンにおける人権問題への対応は、企業の持続可能性と競争力を確保する上で不可欠な要素となっています。特に、人権デューデリジェンス(Human Rights Due Diligence: HRDD)は、企業が自社のサプライチェーンにおける人権侵害リスクを特定し、予防し、軽減するための中心的なプロセスです。
本記事では、これから人権デューデリジェンスに取り組む企業のサプライチェーン担当者の方々に向けて、その導入の基本的なステップと、社内で効果的な体制を構築するための実践的なポイントを解説します。「どこから着手すべきか分からない」「社内でどのように提案・実施すれば良いか」といった課題を抱えている方々の参考になれば幸いです。
人権デューデリジェンスとは何か?
人権デューデリジェンスとは、企業が自らの事業活動やサプライチェーンを通じて引き起こす、あるいは助長する可能性のある人権への負の影響を特定し、予防し、軽減し、その対応について報告するための継続的なプロセスを指します。これは、国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」において企業に期待される重要な責務の一つです。
人権デューデリジェンスは、単なるリスク管理ではなく、企業が人権を尊重する責任を果たすための体系的なアプローチであり、以下の要素を含みます。
- コミットメント: 人権尊重に関する方針を策定し、公表すること。
- リスク評価: 人権への負の影響を特定し、評価すること。
- 是正措置: 負の影響を予防、軽減し、引き起こしてしまった場合には是正措置を講じること。
- モニタリング: プロセスの実効性を継続的に追跡・評価すること。
- 情報開示: 対応状況について透明性を持って報告すること。
- 苦情処理メカニズム: 影響を受けた人々が救済を求めるためのメカニズムを提供すること。
人権デューデリジェンス導入の基本的なステップ
人権デューデリジェンスの導入は、一度行えば終わりというものではなく、継続的な改善を伴うプロセスです。ここでは、最初の着手点として理解すべき基本的なステップをご紹介します。
ステップ1:人権尊重に関する方針の策定とコミットメントの表明
人権デューデリジェンスを開始する最初の、そして最も重要なステップは、企業として人権を尊重する明確な意思を表明することです。
- 経営層のコミットメント: まず、経営トップが人権尊重への強いコミットメントを示すことが不可欠です。これにより、社内全体に人権デューデリジェンスの重要性が浸透し、各部署が協力する基盤が築かれます。
- 人権方針の策定: 国連「ビジネスと人権に関する指導原則」に則り、自社の人権尊重へのコミットメント、具体的な人権課題への考え方、デューデリジェンスの実施に関する基本原則を明文化した人権方針を策定します。この方針は、社内外に広く公開し、周知徹底することが求められます。
- 担当部署・責任者の明確化: 人権デューデリジェンスを推進するための主担当部署や責任者を明確に指定します。多くの場合、CSR/サステナビリティ部門が中心となりますが、調達、法務、人事、事業部門など、関連する複数の部署が連携する体制が理想的です。
ステップ2:人権への負の影響の特定と評価
このステップは、前回の記事で触れた「人権リスク特定」と密接に関連します。サプライチェーンにおいて、どのような人権リスクが存在し、その影響がどの程度深刻であるかを具体的に評価します。
- サプライチェーンのマッピング: 自社のサプライチェーンを可視化し、どの段階でどのような企業が関わっているかを把握します。
- リスクの特定: 特定したサプライチェーン上の事業活動や調達先において、強制労働、児童労働、不安全な労働環境、差別など、人権侵害の潜在的なリスクを洗い出します。業界や調達品目、地域特性などを考慮した包括的な視点が重要です。
- リスクの評価と優先順位付け: 特定されたリスクについて、その発生可能性と人権への影響の深刻度(人数の多さ、回復の困難さなど)を評価し、対応の優先順位を決定します。この際、最も深刻な影響をもたらす可能性のあるリスクから優先的に取り組むことが原則です。
- サプライヤーからの情報収集: サプライヤーに対して、人権方針、労働慣行、研修状況、苦情処理メカニズムの有無などに関するアンケート調査や自己評価を依頼し、情報を収集します。必要に応じて、第三者による監査や現地調査も検討します。
ステップ3:負の影響の予防、軽減、是正
特定された人権リスクに対して、具体的な対策を講じるステップです。
- 予防・軽減策の策定と実施: 特定されたリスクに応じて、行動規範の改訂、サプライヤー行動規範の導入、サプライヤーへの研修、能力開発支援、契約条項への人権条項の追加などを実施します。
- 苦情処理メカニズムの確立: サプライチェーンにおいて人権侵害を受けた人々(労働者、地域住民など)が、安全かつ秘密裏に苦情を申し立て、救済を求めることができる実効的なメカニズムを構築します。これは、内部通報制度の拡充や、サプライヤーへの導入支援などが含まれます。
- 是正措置の実施: 万が一、自社のサプライチェーンで人権侵害が発生してしまった場合、迅速かつ適切にその是正に取り組みます。影響を受けた人々への救済措置を講じるとともに、再発防止策を徹底します。
ステップ4:効果の追跡と情報開示
人権デューデリジェンスは継続的なプロセスであり、その効果を定期的に評価し、透明性を持って報告することが求められます。
- モニタリングと評価: 導入した対策が人権への負の影響の予防・軽減に実際に寄与しているかを定期的にモニタリングし、評価します。KPI(重要業績評価指標)を設定し、進捗を客観的に把握することが有効です。
- 情報開示: 人権デューデリジェンスの取り組み内容、特定されたリスク、講じた措置、その効果について、企業のウェブサイトやサステナビリティレポートなどで定期的に情報開示を行います。これにより、ステークホルダーへの説明責任を果たし、信頼性を高めます。
効果的な社内体制を築くためのポイント
人権デューデリジェンスを実効性のあるものにするためには、社内での協力体制構築が鍵となります。
1. 経営層の積極的な関与と理解促進
人権デューデリジェンスは、単なるCSR部門の業務ではなく、企業全体の事業リスク管理として位置づける必要があります。経営層がその重要性を理解し、積極的に関与することで、必要なリソース(予算、人材)が確保され、部門間の連携がスムーズに進みます。定期的な報告会や意思決定の場を設け、経営層からの指示を仰ぐ体制を構築しましょう。
2. 社内横断的な連携体制の構築
サプライチェーンにおける人権課題は多岐にわたるため、単一の部署だけで対応することは困難です。以下の部署との連携が特に重要です。
- 調達部門: サプライヤーとの契約、評価、コミュニケーションの最前線であり、デューデリジェンスの実行において最も重要なパートナーです。
- 法務部門: 関連法規の遵守、契約書への人権条項の導入、苦情処理メカニズムの法的な側面を監督します。
- 人事部門: 自社およびサプライヤーの労働慣行、雇用契約、ハラスメント対策など、労働者の人権に関わる問題に対応します。
- 事業部門: 各事業の特性に応じた人権リスクの理解と、具体的な是正措置の実施に関与します。
- CSR/サステナビリティ部門: 全体の方針策定、進捗管理、対外的な情報開示の統括役を担います。
定期的な合同会議や情報共有の場を設け、各部署の役割と責任を明確にすることで、効率的な連携が可能になります。
3. 専門知識の習得と外部パートナーの活用
人権デューデリジェンスには、人権法、国際基準、特定の産業や地域の課題に関する専門知識が必要となる場合があります。
- 社内研修の実施: 担当者だけでなく、関連部署の従業員に対しても、人権デューデリジェンスの基礎知識や具体的な対応方法に関する研修を定期的に実施し、意識向上と知識共有を図ります。
- 外部専門家との連携: 必要に応じて、ビジネスと人権に詳しいコンサルタント、NGO、弁護士など、外部の専門家から助言を得ることも有効です。特に、特定の地域やサプライヤーにおける複雑な人権問題の評価や是正措置においては、彼らの知見が大いに役立ちます。
4. 継続的な改善(PDCAサイクル)
人権デューデリジェンスは一度きりのプロジェクトではなく、継続的なプロセスです。計画(Plan)、実行(Do)、評価(Check)、改善(Act)のPDCAサイクルを回し、常に取り組みを見直し、改善していく姿勢が求められます。
- 定期的なレビュー: デューデリジェンスのプロセス全体を定期的にレビューし、有効性や効率性を評価します。
- 課題の特定と改善計画: 評価の結果、見つかった課題や改善点を特定し、次期の計画に反映させます。
まとめ
サプライチェーンにおける人権デューデリジェンスは、複雑で継続的な取り組みですが、企業のレジリエンスを高め、持続可能な事業運営を可能にする重要な投資です。
本記事でご紹介した導入ステップと社内体制構築のポイントは、皆様が人権デューデリジェンスを効果的に推進するための第一歩となるでしょう。どこから着手すべきか悩む場合は、まず人権方針の策定と、関係部署との初期的な連携から始めることをお勧めします。一歩ずつ着実に実践を進め、信頼される企業としての基盤を強化してください。